学生時代と比較して頻度は減ったけれど、母親とたまに長時間電話することがある。
元々、性格的には反対のものがあったり、価値観が違っている部分もある。
だから、喧嘩のような終わり方で電話を切るパターンも多々ある。
母は上手くいかないことを良しとせず、なるべく明るく元気に周囲と関係性を作っていくタイプ。
根元の部分はわりと緩急あるメンタルであると思う。しかし、ヒステリーになったり激怒するのはあくまで家庭内であって、外では肝っ玉母ちゃんで通っている。
一方で私は、嫌いならそれで結構だとわりと割り切って生きてきたし、無理に明るくするわけでもなく理解してくれる人がいればそれでいいというスタンスできた。
だから、母からしてみたら、「少しの頑張りで周囲ともう少し上手くやれるのに、なぜ?」という気持ちでいっぱいなのだろう。
言葉では「それでもいいんじゃない?」と言う時もあるけれど、言葉の節々から「直しなさい、改善しなさい、なぜなの?」という雰囲気が醸し出されている。
自ずと、「頑張りなさい」「改善しなさい」「それは、おかしいこと」「普通は○○だよ」というニュアンスの言葉が多くなる。
小さな頃から、それらの言葉を聞くたびに威圧感というか、窮屈というかそんな感覚があった。
「あなたはあなたらしくいればよい」という肯定を、心の中では求めても実際には手に入らない。そんなことを何回繰り返してきただろう。
理解してほしい、なぜわかってくれないのか?と何回思ったか計り知れないが、最近は理解してもらえなくてもいいとも思い始めている。
親子だから他人ではないから、理解してもらえるはずという思い込みが長年自分を苦しめてきたのであれば、もう手放す時期にきているかもしれない。
昨晩の電話での会話でも、昔の母のような威圧感は少し影を潜め、どちらかと言えば「私には理解が難しい、困ったな」というイメージを受けた。
自分では受け入れてあげることも、助言も理解も難しいよ。という感じを受けた。
時の流れなのだろうか。
昔ほどの、すごい剣幕で「あなたおかしんじゃない!!?」みたいな勢いが薄くなった気がした。
話しを聞いてほしいときや、苦しくなってしまったとき。そんなときに頼る人はもはや母ではない。
寂しいようだけれども、お互いにその方が良さそう。
もちろん、嬉しいこと・楽しいことを伝えるのは何回あってもいい。
ただ、ネガティブなものを話すことはもう違うのかも。
私は私で、溜め込まず発散し頼れる人や手段を見いだすことが今後の課題。