新年度が始まりバタバタとした日々が続いている。
今年度も国際コースの担任をすることになった。
そして久しぶりに元駐妻の本帰国後のキャリアについて書こうと思う。
よく駐妻は帰国後の再就職が難しいという事を聞いていた。
だからバンコク時代は「働きたい駐妻集まれ」的な集会に参加したこともあった。
けれど、私にはその集会が納得いくものではなく、その後参加することはなかった。
自分の性質的に個人で行動することが向いていると思ったため、大学院での研究をタイでも続けた。
籍は日本の大学院に置き、通信制のために年に数回帰国する。そして、タイの大学に協力を仰ぎ質問紙調査を実施した。
周囲に大学院に通う奥さん達はおらず孤独な戦いだったけれど、どうにか修了することができた。
タイで実施した研究をアピールポイントとして、本帰国後は地方のマンモス校に就職した。夫の次なる転勤先がとある地方だったからだ。そのマンモス校では国際コースの授業を担当し、少なからず海外での生活が役に立った。
次は東京への転勤となり、それに伴い首都圏の学校を中心に就活をおこない現在にいたる。
「海外で生活していた」ということが、学校側が求めるものと一致していたのか、今年で国際コース担任2周目となる。
多国籍の生徒が多い現在のコースでは、一筋縄でいかないことが多い。
保護者と電話や面談をしても、言葉や文化の違いから意思疎通が難しいことも多い。
文化的背景に配慮しなくてはならない面もある。
それでも、異国で生活する孤独や不安や焦りを理解することができる。
かつての自分自身もそうだったから。
学級担任がフォローしたからといって、その方々の日本での暮らしが全て上手くいくとは思わない。
ただ少しでも安心感をもってもらえたらと思い仕事をしている。
何が言いたいかって言うと、その時々にできることを探して十分に力をつければ、本帰国後も活躍の場はあるということだ。
それには折れない心と諦めない気持ちが大切。